Paper Dokuhon Blog ~SKY HIGH~

思ったこと、いま興味のあることを何でも書いていきます。芸能ネタ、ラーメンネタ、旅行ネタ、サッカーネタ、都市や地方ネタなどが中心になりそう。
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フクダ電子アリーナ

そんなわけで、千葉市の蘇我まで行ってきました。
千葉駅から2駅、東京からなら京葉線の快速で40分余りの終点。
ジェフ千葉の新しい本拠地・フクダ電子アリーナ、略称フクアリ。なかなか良いです。
蘇我駅から整備中の広い歩道をまっすぐ歩くこと約8分。駅からの立地や沿道の雰囲気は味の素スタジアムに似ているような。国道を広い歩道橋で渡るところも共通しています。
フクダ電子アリーナ入口

もともとはJEFならぬJFE(川崎製鉄と日本鋼管が合併)千葉製鉄所の跡地に建てられたもので、周囲はまだ空き地のまま。工場も一部が稼動していて、もうもうと吐き出される煙を仰ぎ見ながらのサッカー観戦です(笑)。
さすがサッカー専用スタジアムだけにピッチと客席が近くて見やすいのが最大の魅力です。仙台スタジアムをやや簡素にしたような雰囲気で、屋根はスタンドの前の方にはかからない構造。今日みたいな時々雨の天候では、前6列目くらいまでの客は雨がっぱ必須。
フクダ電子アリーナのピッチ全景

この手の箱物は、えてして金をかけた豪華な造りになりがちですが、フクアリはコストダウンを図った跡があちこちにあります。
手すりや仕切りはいちばん安そうな銀色の金網(写真左)。
男子トイレの外壁は家のガレージの屋根などに使う、軽い半透明の波型板・ポリカーボネイド(写真右)。意外に透けないものです(笑)。
フクダ電子アリーナから見た外の風景 フクダ電子アリーナのトイレ

先週、こけら落としが行われ、今日がフクアリ2試合目となる千葉-神戸戦。試合自体は4-0で千葉の圧勝でした。神戸はもうJ2降格が決まったかのような元気のなさ。
試合終了の頃には雨も上がり、夕焼けがきれいでした。
フクダ電子アリーナの夕焼け

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ヒゲ面のサッカーおじさんと川崎フロンターレ

私が育ったのは旧浦和市(さいたま市)で、Jリーグが発足してレッズができるずっと前からサッカーが盛んな地域だった。
日曜になると小学校の校庭にヒゲ面のおじさんがやってきて、子供たちにサッカーを教えていた。風体は「ジャージを着た浮浪者」みたいな感じで、とても少年サッカーの指導者のイメージではなかった。あのおじさんの正体も、サッカーがどれだけのレベルだったのかも、未だに知らない。
ただし、そういう地域にいながら私自身はサッカーにはほとんど興味がなく、本格的にサッカーに関心が向くようになったのは社会人になってからである。

ちょうどJリーグが誕生し「ドーハの悲劇」が国民的な注目を浴びた時期。しかし当時はJ開幕バブルでチケットはなかなか取れず、試合はTVで見るしかなかった。
その頃、私は仕事の関係で川崎の等々力陸上競技場の近くにある富士通の工場に常駐していた。毎週金曜の午後になると社内放送で、
「当社サッカー部は来たる10月23日日曜日、等々力陸上競技場におきまして、ジャパンフットボール第25節、東京ガスとの試合を行います。社員の皆さんの、多数の応援をお願いします」
どこかの宗教じゃないが、毎週のようにそんな放送を聞かされるうちに、自宅が近かったこともあって、当時JFLだった富士通サッカー部の試合を時々見に行くようになった。
等々力はヴェルディのおかげで屋根付きのスタンドやオーロラビジョンが設置されたばかりで新しくきれい。だがJFLの、それも企業チームの試合はJの喧騒とは全く無縁で、なんとものんびりしたものであった。休日の午後、観客のまばらなスタンドで試合を観戦するのは至福のひとときであった。
時々、富士通の社員が半強制的に観客動員させられる試合もあり、入口で配られた青のグッズで等々力のスタンドが染まった風景には、やがて体感するJの雰囲気を予感させるものがあった。

間もなく、富士通サッカー部も川崎フロンターレに生まれ変わり、本格的にJへの道を歩むことになった。勝ち点1差での昇格失敗、J参入戦での土壇場での逆転負け、昇格、1年で降格、度重なる監督交代…と苦難が続く中で、着実に川崎市民の心をつかんできた川崎フロンターレ。苦楽をともにしてきたサポーターも、等々力の雰囲気も、熱心ながら温かい。味方の選手にブーイングなんてめったに起きない。たぶんレッズやFC東京あたりのサポーターから見れば、なんとも生ぬるく感じるかもしれない。でもその温かさがJFL時代から続く川崎の持ち味だと思っている。

だから私は好きなサッカーチームを聞かれたら迷わず川崎フロンターレと答える。
しかし他の試合もよく見に行く。休日で暇な時に近場でJやJFLの試合があれば行くし、旅行はここ数年、地方の試合観戦と絡めることがほとんどである。事実、これを書き終わったら、先週オープンしたばかりのフクダ電子アリーナに千葉-神戸戦を見に行く(笑)。
サッカー場の雰囲気や、選手、審判、監督、そして観客が織り成す「人間模様」が好きなんだろうな、と自己分析をしている。
等々力競技場
等々力陸上競技場

「美味しいラーメン屋を教えて」

私はあちこちでラーメン好きを公言してきたせいもあって、よく知人から「おいしいラーメン屋を教えて」と聞かれる。しかし教えてあげた後、「教えてもらったあの店行ったけど、おいしかったよ」と感謝されたことは意外に少ない。
「おいしくなかった」 「俺の好みじゃない」
と逆ギレされたこともある。せっかく親切に教えてやったのに、である。
「おいしいラーメン屋といっても、自分が好きなラーメン屋ですからねぇ。あなたの口に合うかどうか」と念を押しても、
「いいからいいから。児山さんがお薦めの店なら絶対間違いないから」
その挙げ句が「おいしくなかった」である。まったくもってわがままとしか言いようがない(笑)。
人間の好みは十人十色、百人百色。国民食といわれるラーメンならばなおさらである。百人いれば百人それぞれ異なる№1があって当然。自分だけにしか通用しない好みの選択を他人に任せること自体、非常に虫が良いというか、もともと無理がある話なのだ。

だから、私は雑誌やインターネットでよく紹介される有名店の評判とか「行列のすごさ」は信用しないようにしている。あくまで、ここにこういうラーメン屋がある、という情報のひとつに留めている。
そういう有名店にも話の種に行って食べてはみる。普通にうまいと思った店はあっても、電車を乗り継いでも長時間並んででもぜひまた食べに来たい、と思った店はほとんどない。

無責任だとか他人任せは良くないとか説教したり愚痴ったりしても仕方ない。
最近は、おいしいラーメン屋を聞かれたら決まって聞き返すようにしている。
「どんな味のラーメンが好きですか?醤油、塩、味噌、豚骨、いろいろあるけど」
好みを聞いて範囲を絞り、その中で児山なりに印象深い店を1、2店挙げるのだ。何だか自分自身が検索ソフトになったような気分(笑)。
このほうが満足してもらえる確立は高くなると確信しているのだが、今のところどれだけ効果が出ているかは分からん…。
ラーメン(イメージ)
写真はイメージです(笑)

東京パフォーマンスドール

1990年。おニャン子クラブも既に解散し、アイドル冬の時代と言われていた頃。
原宿の小さなライブハウスで女の子たちによる定期的なライブが行われ始めた。
MCもなく、いろいろなコスチュームで外国曲のカバーを歌い踊る少女たち。宝塚を思わせるミュージカル仕立ての構成。そこには独特の緊張感と、既成のアイドルに飽き足らないファンを惹きつける何かがあった。
陽の当たる場所へ這い上がろうとする彼女たちのひたむきな姿に、最初は数えるほどしかいなかった客も回を追うごとに次第に増え、やがてライブハウスが連日超満員になるまでになった。チケットは入手困難なプラチナチケットに変わっていった。
ライブにずっと通い続けてきたファンの間にはいつしか、周囲を寄せ付けない強い連帯感、そして自分らがこの子たちをずっと見守ってきて一緒に育ててきたんだ、というプライドが生まれていた。

やがて女の子たちは原宿のライブハウスを飛び出し、日本青年館や東京厚生年金会館など大ホールでのライブが中心になっていった。平行してメディアへの露出も増え、レギュラー番組を持つほどになった。そして結成から3年、ついに武道館の2Daysコンサートが実現した。
だが劇的に増えたファンの中で、初期からのファンにはなんとも言えぬ失望感というか虚無感のようなものを持つ者もいた。…こんなんじゃない。自分が応援し続けてきた女の子たちが、自分の想いとは違う方向へ進んでいってしまう。あの小さなライブハウスで歌い踊る姿こそが、一番輝いていたはずなのに…。武道館をきっかけに離れてしまったファンも確かにいた。
その後、横浜アリーナでのコンサートも実現させた彼女たちだったが、やがてその活動にも終焉の時期がやってきた。女の子たちはそれぞれ別々の道を歩き始めていった。マイペースで音楽活動を続ける子もいれば、完全に普通の女の子に戻った子もいた。世を席巻する大物音楽プロデューサーに見出され、ミリオンヒットに恵まれて一躍スターに躍り出た子もいた。

おニャン子みたいに社会現象になるほどでもなく、武道館コンサートを実現させながらも結果的に一部のマニアックな人気だけで終わってしまった彼女たち。だが、その精神や手法は、後のダンスユニットブーム、そしてハロプロの隆盛への先鞭をつけたものであった。
決して恵まれなかった冬の時代を懸命に生き抜き、次の時代への足がかりを築いた彼女たちを、今も誇りに思っている。
PA210041_320.jpg

STARTしましょう

10月22日。もう何回目の誕生日かな。
今更じたばたしたり、自分の中の何かが変わったりするものでもありませんが、
ふと思い立ってブログを始めることにしました。
義務感にとらわれない程度にマイペースで続けていくつもりです。
今まで児山や「Paper Dokuhon」のことをご存知の方も、そうでない方も、よろしくご愛顧のほど。
島原の足湯
長崎県島原の足湯にて
プロフィール

児山尚喜

Author:児山尚喜
新潟生まれの埼玉育ち。AB型。
自称・まじめな勤め人。ただの町人。
好奇心大。趣味多数。しかし何一つ仕事に生かされておらず、職場では一目置かれるどころか“役立たず”扱いらしい。おかげで出世レースからも早々と脱落し、ますます趣味にのめり込む悪循環の生活を送っている。
1990年代前半にごく一部で話題になり篠原涼子などを輩出した女性アイドルグループ「東京パフォーマンスドール」のファンを自認するが、今はグループ自体が消滅して、ここでも宙ぶらりんの状態(笑)。
サッカーなどスポーツ観戦も趣味だが、Jリーグより先にJFLを観戦し始めたマイナー志向派。10年以上に亘って見続けてきた富士通サッカー部が川崎フロンターレになり、とうとうJ1に上がってしまった。でもマイナー意識は抜けず…。

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