80歳を過ぎても腕立て伏せ200回などトレーニングを続けていたゴッチ氏。
厳しくストイックな人生哲学、妥協を許さないファイトスタイルは
米国マット界から敬遠され、メジャータイトルとは無縁であった。
プロレスラーとして大成したとは言えなかったが、
ウェートトレーニングを嫌いスクワットやブリッジを基本とした
独自のトレーニング法は、数多くの日本人レスラーを育て、
日本プロレス界に大きな影響を与えた。
猪木、藤波、木戸、藤原、佐山、前田、高田、鈴木みのる、西村…など
新日本プロレスやUWF系の中心選手のほとんどがゴッチ門下生である。
ジャーマンスープレックスを考案して自ら披露。
猪木の卍固め、長州のサソリ固め、藤波のドラゴンスープレックス、
といった看板必殺技を伝授したのもすべてゴッチ氏であった。
ただ一方で、ゴッチを評価しない意見も少なからずある。
特に、力道山や馬場は米国における評価と同じく
ゴッチのスタイルを嫌っていたとも言われ、
全日本系のレスラーはゴッチ氏との接点はほとんどなかった
(渕やキム・ドクなどが短期間指導を受けたことはあったが)。
晩年、ゴッチ氏は北海道で暮らしたいという意向があったが
奥さんの希望で温暖なフロリダに永住することにしたという。
日本のプロレスの功労者であるゴッチ氏に日本で手厚く余生を
送ってもらうことができたら、どんなに誇らしいことだっただろう。
巨星堕つ。合掌。
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