昔、ある著名人がこんなことを言っていたのを覚えている。 「運はすべての人間に平等に回ってくる。成功するか失敗するかは、一生の中で巡って来る運をうまく使えるかどうかで決まる。うまくいかないのは自分が運を使いこなせなかっただけのこと。」
これまで生きてきた中で、思うように結果を出せなかった時、この言葉を思い出すようにしてきた。人のせいにするな、自分にはまだ運が向いてこないだけだ、と。
ただ運は平等に来るのかもしれないが、その運を使う上での前提条件となる自分の境遇は、人間一人として同じではない。 裕福な家に生まれ何不自由なく育った者、極貧に生まれた者、五体満足で健康な者、ハンディキャップを背負って生きる者、体の大きい者、小さい者、美男美女、ブサイク、日本人、アラブの大富豪、アフリカ難民…。 大金持ちならば多少失敗しようが食うには一生困らない。かたや恵まれない境遇に生をうけた者へ多少好運がもたらされたところで、貧乏脱出がやっと。大金持ちになれるわけでもない。 不謹慎を承知で言うならば、ハンディキャップを背負った人は運を使うチャンスさえ与えられない可能性があるのだ。 「いくら心がきれいでも みにくいアヒルの子ではいやだと」(ばんばひろふみ「SACHIKO」)、 「顔が嫌い 顔が嫌い あんたの顔が嫌いなだけ ごめんねキミはとてもいい人 だけど顔が嫌いなの」(コンセントピックス「顔」) 人は心が大事とはいいつつも、その手前の容姿でバッサリ斬られては挽回の余地などない。
だいたい、運が向いてきたかどうかなど、凡人に分かるわけがない。自分の人生が成功したかどうかが分かるのは死ぬ間際、もしくは死んだ後の周囲の評価によって、であろう。
そんなことを考えるようになってから、少しずつ人生に対する考え方が変わってきたような気がする。 運をうまく掴めたところでそれが人生の成功につながるかどうかは誰にも分からない。それ以前に、運が自分に回ってきたのか、その運をいつ使えるのか、それも分からない。運を掴む努力はしたほうがいいが、こだわりすぎて人生の楽しみや好みの幅を狭めてしまっては元も子もない。神様に与えられた境遇と正面から向き合い、必要以上に大きな結果を求めすぎないこと。タカラの人生ゲームの“大立者”みたいな一発逆転人生はドラマチックで面白いかもしれないが、ゲームの中だけの世界にとどめたい。
一度きりの人生。運命に逆らわず、好きなことができて楽しければそれでいいのでは。 テーマ:ひとりごとのようなもの - ジャンル:日記
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